福岡県北九州市小倉南区のお客様 ヴィトン カシミヤマフラーを買取しました!
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おたからや小倉守恒店の植波です。
今回は福岡県北九州市小倉南区のお客様よりヴィトン カシミヤマフラー を買取させていただきました。
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冬など寒い時期には欠かせないマフラー。今回はマフラーの歴史についてご紹介させていただきます。
マフラーの語源は、マフル(ラテン語maffle包み覆う)の意味からきています。起源については諸説ありますが、15世紀頃にヨーロッパで女性が顔の下部を覆った四角の白布を「マフラー」と呼んでいたことに起因すると云うのが一般的です。
フランス革命の時代になると「マフラー」は、黒い布で顎から首に巻き付ける現在のスタイルに近いものになりました。 また、この頃からカシミア製や毛皮の襟巻きもドレスの防寒具として普及を始めていた様です。
19世紀になると肩掛けとしてのショールが一般人にも浸透し始め、レース等の装飾性の強いものが人気であくまでも女性のファッションの一部でした。
20世紀の最初の20年間に、マフラーは男のワードローブにどうしても欠かせないものになりました。 ウールとカシミアは保温の為に冬には好まれ、暖かく快適な気候の時にはシルクが使われていました。 第一次大戦後、シルクでスクエアの縦横28インチ(約71cm)が各種柄物で主流となり、縞柄と格子柄で長方形のウールも流行していました。
1928年 「メンズウェア」誌で、お洒落なニューヨークの人 200人が着用していたマフラーを調査した結果、本当のベスト・ドレッサーだけに着用されている白いマフラーがあったと伝えています。 素材は他のマフラーと変わりのないものですが、先端に房飾りがついていました。 ただもうひとつ重要な点は、薄手の素材しか見られなかったと云う事実があることです。 ニットのウール・マフラーでさえ極細の毛糸で編まれていたようです。 この調査報告には、統計表がつけられていました。 無地で色物のカシミア(14%)、柄物の薄絹(12%)、柄物の厚手絹(12%)、ニットのウール(11%)など……。 当時でも無地のカシミアをする人が多かったことが伺えます。
日本に「マフラー」がいつ頃伝わったのか、はっきりした記録はありません。日本では「マフラー」のことを長い間、「襟巻き」と呼ばれていました。 古い文献によると、1461年に「一休和尚」が詠んだ歌に「襟巻」と云う記述があることから、この時代から「襟巻き(首巻き)」と呼ばれる防寒具があった様です。
その後時代が進み、明治時代に入って、西欧諸国との交流が本格化してから肩掛けと呼ばれた「ショール」がもたらされました。 1873年には、初めて毛皮の襟巻き「マフラー」が販売されています。 ですが、日本では古来より、首廻りの保護に関して云えば、「頭巾」や「手ぬぐい」が用いられていたのも事実です。 今日日本では用途によって、また大きさや形などから和装用として使われるものを「ショール」、長い長方形や三角形のものを「ストール」、正方形や長方形で薄手のものは「スカーフ」、そして主にウールでコート下に用いるものを「マフラー」と呼んで区分けされていることが多いです。しかしマフラーが大きくなり、ストールとの区分けが曖昧になってきていることもあります。
いかがだったでしょうか?
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