福岡県北九州市小倉南区のお客様 カシオG-SHOCK DW-6900買取しました!
ご覧いただきありがとうございます。
おたからや小倉守恒店の田辺です。
今回は北九州市小倉南区のお客様よりカシオG-SHOCK DW-6900を買取させていただきました。
ありがとうございます!
今回は「カシオの歴史について」お話させていただきます。
カシオの前身は、1946年に東京三鷹市で創業した樫尾製作所です。
創業者は樫尾忠雄氏で、草創期のメンバーとしては他に忠雄氏の三兄弟が挙げられます。
もともと優れた技術者として名を馳せていた忠雄氏を筆頭に、精密機器のパーツや歯車を加工・製作する下請け工場を展開していきました。
ちなみに、カシオは現在でも経営の手を創業家一族が担っているんですよ。
樫尾製作所は下請け工場であった傍らで、製品開発にも意欲的に取り組みました。
とりわけ、タバコを根元ぎりぎりまで吸うことのできる「指輪パイプ」の開発が大ヒットします!
物資不足の中において重宝されていたのでしょうね♡
また、樫尾製作所であった当時から、「創造 貢献」の意志が根付いていたことを示唆しますね。
その後1950年代に入ると、世界は一気に電子デバイス開発へ舵を切ることとなります。
1947年に半導体(トランジスタ)がアメリカで開発されたことで、各社が電動計算機やトランジスタラジオを手掛けるようになったのです。
これに目をつけた樫尾製作所では「指輪パイプ」での資金を元手に、世界初の小型純電気計算機「14-A」の商品化を1957年に成功させました。
この「純電気」とは機械的な歯車を一切持たず、リレー(継電器のこと)等の電子回路を使用した当時としては画期的な計算機のことを指します。
機械式計算機やモーター駆動の電動式計算機は既に存在していたものの、機械式をはるかに凌ぐ高速演算や多機能、そしてモーター駆動では実現しえなかった静音を誇った「14-A」は、世界中にカシオの名を轟かせるに至りました。
なお、「14-A」とは、文字通り14桁までの四則演算を行うことにちなみます。
また、テンキーや一つの表示窓と言った、今日の計算機の原型を作り上げたことから、電子機器の歴史に残るような発明とも言われているんですよ。
樫尾製作所はこの「14-A」商品化の同年に、現在のカシオ計算機株式会社へと社名変更。
1972年に世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」や、誰もが簡単に演奏を楽しめるというコンセプトのもと1980年に開発された電子楽器「カシオトーン」等、画期的な製品開発を意欲的に行っていき、わが国屈指の電機メーカーへと成長していきました。
現在では電卓や電子楽器、電子辞書に時計と多岐に渡った事業を展開しており、そのいずれもトップクラスのシェアを誇っています。
なお、カシオのロゴは「CASIO」で、創業家一族の苗字にちなんでいます。
KASHIO表記ではない理由は、世界で親しまれるグローバル企業を目指しているからだとか‥
いかがでしたか?
みなさんのご自宅に、眠っているブランド腕時計はありませんか?
おたからや小倉守恒店にお持ちいただけると、全力で査定させていただきます!
ご納得のいくお値段で買取りさせていただきますので、ぜひお待ちしております!